知性を扱うなら、まず測らなあかん
前回、ワイはこう書いた。
言語を中心に置いたまま、
知性を定義してよいのか。
その問いに引っかかったまま、
ワイはもう一つ考えた。
もし知性が、
身体や情動を含む多層構造やとしたら、
その下の層はどう扱えばええんやろうか。
言語なら扱える。
LLMはまさにそれをやっている。
でも身体や情動は、
言葉になる前に動いている。
石膏ボードを担ぐとき、
判断は言葉より先に起きる。
武術の稽古でも同じや。
身体が整うと、集中力や記憶力まで変わる。
つまり
理解
↓
言語
やなくて
身体
↓
情動
↓
理解
↓
言語
という順番なんや。
ここで一つ、単純な疑問が出てくる。
言語の前にあるものは、どう扱えばええんやろうか。
言語は記録できる。
文章として残る。
せやけど、
情動や身体状態はそうはいかない。
それは瞬間的で、
連続的で、
言葉になる前に消えていく。
もしAIが知性を扱うなら、
…

